コンピューター・IT業界って、やたらとカタカナ言葉や略語が多いですね。
わかりにくく難しい言葉を連発することで、何となく「すごい事やっている」感をかもし出そうとしているのか、あるいはクライアントを煙に巻こうとしているのかと思うこともあります。実際、その手の営業電話がかかってくるんです(笑)。
「御社のホームページを・・・」 こういった言葉で切り出されると、こちらは「たいした会社じゃないな」と判断します(理由は考えてください)。
やっぱり、言葉は相手に伝わってこそ価値があります。活きてきます。
一応地域で事業をしていますので、ご縁があって、事業者の奉仕団体「ロータリークラブ」に参加させてもらっています。ここ数年は「カミさんの顔よりパソコンの画面を見ている時間が長いだろう」という理由で、地区(熊本・大分両県で約2400名)の「IT研修委員長」という役職についています。110余年の歴史を持つロータリーもIT化の波が来ているので、それに対応しろってわけです。
そんなこともあり、ロータリーの会員さん向けにITのお話をする機会もあります。
ここだけの話ですが、大変ですよ~。相手の多くは私より先輩、しかも企業の経営者ばかり、普段は秘書さんとか部下に仕事をふっている方が多いと思います。そんな方にITの話をするのは、素直な子ども達の何倍も・・・・(愚痴はここでやめときます)。
限られた時間の中で、パソコン操作とかの話はできません。年度はじめての研修などでは、まず「ITの必要性」を理解してもらうところからはじめます。
最近は、こんな感じで話をはじめます。
「こんにちは、地区IT研修委員会のモリカワです。今日はロータリーにとってもITが大事だというお話をさせていただきます。
ところで皆さん、1905年ってどんな年か、知っていますか?」
会場(ザワザワ・・・)
「1905年を知らないと、もぐりって言われますよ。1905年はアメリカ・シカゴでポール・ハリスたちによって最初のロータリークラブがつくられた年ですよね(ウンウンと多数うなづく)。
では、その年、日本ではどんなことがありましたか?」
会場では、きょとんとする方もチラホラ・・
「そのころ、日本はロシアと戦争やっていて、1905年は、日本海海戦があたった年です。数年前NHKでやっていた『坂の上の雲』のクライマックスです。」
IT=Information Technology は「情報処理技術」のことだというのは、よくご存知だと思いますが、実は「情報」というのは元々「軍隊用語」で明治維新後に誕生した言葉なのです。
戦争では、敵方・味方の兵力(数や武器の他、士気や練度など)はもちろん、会戦場所の地形や天候、そして上部組織からの命令などを元に「作戦」を立てます。作戦立案のための「判断材料」が「情報」というわけです。
元々軍隊用語だった「情報」ですが、日露戦争ころには国語辞典に載るようになっているとのことなので、一般的になったということでしょう(当時は徴兵制だったので、軍隊の文化も広まりやすかったでしょう)。
ここらへんの詳しい話は、下記にまとめられているので、ごらんください。
情報処理学会機関紙「情報処理」45周年記念特別寄稿
小野 厚夫「情報という言葉を尋ねて」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110002769607
ちなみに、日露戦争というのは「無線電信」が本格的に使用されるようになった戦争です。「信濃丸」という哨戒艦からの「敵、第二艦隊(=バルチック艦隊)見ユ」という無線電信により、それまで行方不明だったバルチック艦隊が対馬海峡に向っているという確定情報となり、連合艦隊が出港したというのは、「坂の上の雲」にもえがかれている通りです。
考えてみれば、「無線電信」とは、文章をトン・ツーで符号化して通信していたわけで、「元祖デジタル通信」というわけですね。
ちょっと脱線しましたが、明治維新以降、軍隊用語として「情報」という言葉が登場したということは、それ以前は「情報」という言葉やその概念が日本にはなかったということでしょう。
英語の「information」の語源を探っていくと、inform(知らせる)の名詞で
in-「その状態にする」form「形」-tion「こと」
ということで、「行動を形づくること」、軍隊的には「作戦立案や行動の判断の元となること」といった意味になります。
今日的な目で見れば、「情報」というのが重要な概念であるということは理解できますし、戦争であれば、誤った情報は、兵士の命あるいは国家の命運を左右します。
でも、明治以前に「情報」という言葉がなかったということは、日本人にはそういった考え方があまりなかったというか、必要がなかったということかもしれません。
外国と陸続きの国境がなく他の国からの攻め込まれたこともほとんどなく、気候に恵まれていたため、田畑を一生懸命耕していればそれなりの収穫も得られるという生活の中では、情報を集めるということはあまり重要ではなかったのかもしれません。
日本人は元々情報を重要視していなかったのではないかというのは、第二次世界大戦時の日本軍の作戦などにも現れているかもしれません。
例えば、1942年に起きた「ガダルカナル島の戦い」では、「上陸したアメリカ兵は2000名程度」といった情報に基づき派遣した一木隊1000名は壊滅しています。
これはアメリカ軍の兵力(水陸両用戦車まで備えた約11000名)を過小評価したためです。本来であれば、偵察を行いアメリカ軍の兵力を正しく評価して作戦を立てるべきだったはずです。
ミッドウェー海戦時の索敵機が不十分だったためアメリカ空母発見が遅れたことをはじめ、「相手兵力」という基本的な情報を得ることを怠ったためによる作戦失敗という事例はとても多いように思われます。
※明治期の日本軍のほうが、謙虚に学ぶ姿勢があったのかもしれません。
これに対しアメリカ軍などは「情報」を非常に重視していたことは、太平洋の島々に監視員を配置していたことや、レーダー開発や暗号解読に力を入れていたことからも良くわかります。電子工学やコンピューターの発明もこういった背景があったのです。
ITは、情報処理の一部を機会にゆだねるための技術です。
情報を積極的に活用しようという意識、意外と民族性に左右されているのかもしれません。
プログラミングは、「情報処理」というプロセスの一部です。プログラミングだけでなく、情報を活用しようという意識も、コンピューター教育のなかで育みたいものです。
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