「プログラミング教育」に関する一考察

 文部科学省より2020年実施「学習指導要領」が発表される前後から、「プログラミング教育」という言葉が飛び交っています。またそれを取り巻く業界関係者の動きも活発です。なんといっても学校教育は大きな市場、お金の匂いもするんでしょう。
 最近は「プログラミング」が人気がある習い事となっているそうです。

 
 一応公の文書に出ている言葉なので私も使っていますし、私自身も「事業」としているのでなんですが、「プログラミング教育」って言葉は個人的にはどうも好きになれません(オイオイ)。

 「プログラミング」自体が悪いというのではなく、「プログラミング(本当はコーディング)」だけを強調してしまうと、もっと大事なことが疎かになってしまうのではないかという心配からです。



 私は、下は小学生から、高校・大学卒業程度の職業訓練生、そして上は70歳代の会社経営者まで、いろんな方を対象に、コンピューターやITの講義や講演をしています。

 たいてい初めの時間に、こんな質問をします。

 「ご自宅に、コンピューターはいくつありますか?」

 で、挙手を求めます。

「1つもない、ゼロの人?」・・さすがにいません

「1つ?」「2つ?」・・・ボチボチ、手があがりはじめます。

「3つ~5つ?」・・・・・かなり手があがります。

「6つ~10?」・・・・減ってきます。

「11~20?」・・・・手を上げる人はほとんどいなくなります 

「20以上?」・・・・お互い顔を見合わせます・・・

 みなさんは、いかがですか?

 あえて「〇台?」とたずねないことがミソなんです。

 パソコンやスマートフォンあるいは「ゲーム機」などを思い浮かべる人が多いと思います。ディスプレイやキーボードがついていて、文字や画像が表示されるもの・・・

 確かにそれらも「コンピューター」ですが、「情報を処理するプログラム可能な電子装置」というとらえ方をすると、ぐぐっとその数が増えてきます。

具体的には、コンピューターの心臓部である「プロセッサー(『マイコン』ということもあります)」という電子部品が使われている装置です。






 パソコンは当然ですが、液晶ディスプレイやプリンターにもプロセッサーが組み込まれています。キーボードの中にだってプロセッサーが組み込まれています。

 無線LANルーターやスイッチングハブがあれば、その中にもプロセッサーが組み込まれています。

 パソコン周りだけではありません。
 リビングに目を向けると、地デジ液晶テレビやビデオレコーダーはもちろん、エアコンにもプロセッサーが組み込まれています。またこれらを操作するリモコンにもプロセッサーが入っています。リモコンで操作できる照明機器や扇風機などにもプロセッサーが組み込まれているはずです。

 キッチンは、プロセッサーのオンパレードです。電子レンジ・冷蔵庫・IH調理器など調理家電の多くにプロセッサーが組み込まれています。
 
 玩具の中にもプロセッサーを組み込んだものが多いですね。ゲーム機も本体側は当然ですが、〇iiなどのコントローラーにもプロセッサーが組み込まれています。あるいは最近はやりの赤外線コントロールの自動車やミニドローンにも組み込まれています。

 ガレージに停めている自動車に目をやれば、「走るプロセッサーの塊」といってもいい状況です。カーナビやカーオーディオはもちろん、エンジンもほぼ100%プロセッサーによる制御となっています。障害物を見つけるバックセンサーやアンチロックブレーキシステムなど安全システムもプロセッサー抜きには考えられません。一般的な乗用車1台に50個以上のプロセッサーが組み込まれているといわれています。

 このように考えると、日本の家庭には、数十個から百個を超える数のプロセッサーがあり、その数だけそのプロセッサーを動かすためのプログラムがある、そして、こういったプロセッサーとプログラムで私たちの生活が支えられているというのが現在の社会の姿です。

 ボクが、プロセッサー搭載機器でも秀逸だと思うのは「炊飯器」。

前夜に、研いだ米と水を釜に入れてタイマーをセットしておけば、翌朝指定時間には炊き上がっている。
 それまではかまどと羽釜につきっきりで火加減の調節をしながら炊いていたのが、炊飯器に「お任せ」できるようになり、主婦の家事が大幅に軽減されたと思います。

 これが可能になったのも「プロセッサー」と「プログラム」のおかげです。

 プロセッサーは「炊き上がり時刻」から炊飯開始時刻を計算し、その時間から熱源を制御して加熱開始、温度センサーの計測値とあらかじめ設定された「炊飯曲線」を比較しながら、発熱量を調節します。「炊飯曲線」とは、昔ながらの「はじめチョロチョロ中パッパ、ジュウジュウ吹いたら火を引いて、ひと握りのわら燃やし、赤子泣いてもふた取るな」をデータ化したもの。最近の機種ではお米の銘柄ごとに炊飯曲線を調整して、おいしい炊き方にこだわっているとか。



 小学5年生では、家庭科で「ご飯の炊き方」を学びます。学校によってはガラス鍋を使って、火加減を調節しながらご飯が炊きあがる様子を観察していると思います。

 この実習の後にでも、子ども達に向けて「ところで、みんなの家では、ご飯はどうやって炊いている?」「お母さんはずっと火加減みている?」と問いかけるのも面白いですね。

 子ども達に話し合わせた後、じゃーんと分解した炊飯器を取り出し(なければ、写真でも)、基板の上を指さし、

 「この黒い部品が『プロセッサー』っと言って、みんなが学んだ『はじめチョロチョロ~』というご飯の炊き方の『プログラム』に従って、ご飯を炊いているんだよ」

 なんて話をはじめるのもいいですね。温度センサーやヒーターの話に関連付けたり、場合によっては、最適な炊飯曲線を得るために、家電メーカーの人たちが炊飯試験とプログラムの調整を繰り返していることとかも触れてもいいですね。

 そういった授業の中で、「プログラムって、人の知恵のかたまりなんだ」と、気づいてくれるだけでもまずは大成功です。炊飯器に限らずいろいろな機器に組み込まれているプロセッサーとプログラムの存在と役割にも気づいてくれるようにするのが、学びの最初の一歩だと思います。





 コンピューターの機能を集積回路(IC)に詰め込んだ「マイクロプロセッサー」が誕生したのは1971年のことです(この経緯に日本が絡んでいたというのも興味深い話ですが、別の機会に)。
 パソコンやスマートフォンの中核部品「CPU(中央処理装置)」としても使われていてますが、炊飯器に組み込まれているような「組込マイコン(マイクロコンピューターまたはマイクロコントローラーの略)」の方が実は数十倍以上も数が多いのです。

 この「組込マイコン」の普及(高機能化・低価格化)は目覚ましく、冒頭に話したように、「一家に数十~百個以上」という状況になっているわけです。
 そして、日々の生活だけでなく、日本の生命線ともいえる「モノづくり」のあり方も変えてきています。

 今後、IoT(モノのインターネット)やAI(人工知能)など新しい考え方や技術をつかった製品も登場します。
 子ども達が大人になる頃には、自動運転車などが普及しているかもしれません。単に便利というのを越えて、「命もゆだねる」時代になっているかもしれません。

 「教育」というのは、子ども達が社会の中で生きていく力を教え育むことだと考えています。子ども達の基盤は日々の生活です。
 コンピューターやプログラムが、日々の生活の中でどのように活かされているかを知るところから始まり、その後、日々の暮らしや課題を解決するためにコンピューターやプログラムを「道具」として使えるようになればと思います。


 などと思っているのですが、最近の「『プログラミング教育』界隈」をみていると、気になることがあるです。
 
 生活感・リアル感がない「プログラミング指導」があるなぁという思いです。

 子ども達がコードを書いてその通りの結果が得られると、子ども達は達成感を感じうれしく楽しいと感じます。そんな子ども達を見れば指導している側も保護者もよかったと感じるでしょう。

 でもですね、「子どもが楽しんでいること=子どものためになること」とは限らないんです。ビジネスであれば「子どもが楽しむ・保護者も納得」であれば十分です。
 でも教育という以上は、「子どものためになる」ことが最低条件です。もちろん「楽しくてためになる」がベストで、そうするためには、いい教材を用意して、さらに教師の腕の見せ所です。


 画面のキャラクターを思い通りに動かすのは楽しいかもしれませんが、子ども達の意識や発想を「画面の中(バーチャルな空間)」に閉じ込めておくってもったいないと思いませんか。

 子ども達の回りには、人の知恵が「プログラム」という形で詰め込まれたいろいろなモノが存在しています。そういったものを参考にしながら、人が生きているリアルな空間の中でコンピューターやプログラムを道具として活用する方法を学んでいく、そんな授業が行えるようになるといいですね。
 その中で、子ども達と、コンピューターとの付き合い方、技術との関わり方を考えていければいいなと思います。




 こうなってくると、単に「プログラミング教育」の範疇を越え、「コンピューター教育」「システム教育」という括りになります。無理かなって声も聞こえそうです。

 理想論ぽいこと言っているなという声も聞こえそうですが、海外にはこういった概念の教育を初等教育の段階から取り組みはじめた所もあるんです。


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